株式会社ヤノテック

死ぬこと以外かすり傷。
失敗を恐れず可能性に挑戦しながら、オフも楽しむことが大事。

代表取締役社長

矢野 晶照

入社までの経緯を教えてください。


私は中学から久留米の進学校で寮生活をしていたので、小学生までしか両親と住んだことがありません。中学の時はクラスメートだったホリエモン(堀江貴文氏)から、「矢野君、これからはパソコンが流行るよ」と言われて、一緒にパソコンでゲームをつくったりしていましたね。高校では剣道部、ラグビー部、演劇部を掛け持ちしながら応援団長をやったり、高校寮の寮長などもやっていました。その時の様々な経験は今となっては大きな糧となっていると感じます。将来は大好きなバイクをつくりたいという夢があったので、バイクメーカーのカワサキの一番近くにある神戸の大学へ進みました。しかし、ちょうど就職活動を始めようという時に阪神・淡路大震災が起こり、6畳二間に10人で住みながらボランティアで走り回ってる間に就職活動時期を逃し、結局ヤノテックに就職させてもらいました。その翌日から大手メーカに出向し、現場で印刷機や新聞の輪転機のメンテナンスを行っていました。


「失敗を恐れず」について、もう少し詳しく教えてください。


これは20年ほど前に、コンサルタントに入ってもらって、社員全員で考えた企業理念です。ヤノテックは設備の省力化も得意分野の一つですが、特に省力化のオリジナル機械というのは、どこも手を出しづらいんです。失敗したら利益が出ない、赤字になるからです。それに、例えばお客様が機械メーカーさんに「もう少し小さいサイズがほしい」と要望を伝えても、ラインナップになければ、「うちの製品にはありません」と答える。せっかく作る技術はあるのに、「じゃあ、仕方ありませんね」で終わってしまいます。しかし、そこをもう一歩踏み込んでお客様の立場に立ったら、やはりそういう機械がほしいわけですよ。だったら、ヤノテックとしては失敗を恐れずに、いろいろ斬新なアイデアを出して新しい機械をつくるという可能性に挑戦していこうじゃないかと、そういうことです。


これまで失敗したことはありますか?


私は25歳から独学で図面を描き出して、これまでの25年間、お客様からの依頼を断ったことはほとんどありません。もちろん0ではありませんが、できないと即答せずに、どうしたらできるかを考え抜いて、実際なんとかしてきました。納品時にうまく動作せずにお客様にご迷惑をかけたこともありますが、意地でも「この子」を世に送り出そうという気持ちで改良を重ねて形にしてきました。ただ、最初考えていたよりももっと複雑な機械になって、とんでもない大赤字になったこともあります。追加で費用をいただいたことはありませんが、お客様には納得していただいて、その機械は今も現役で稼働しています。


休日のリフレッシュ方法は?


バイクにキャンプ、それにゴルフもやります。40歳までは素人ラグビーも続けていました。町の中心部に住んでいた時もありましたが、もっとキャンプをしたくて思い切ってキャンプのできる家を買いました。平日でも朝5時くらいに起きて、焚火して、お湯を沸かしてコーヒーを飲んで、それから出勤します。庭に畑を作り無農薬の野菜をつくったり、今はラジコンのショベルカーを買って次にやろうと思っている農業機械の無人化テストをしてみたりしています。これは仕事の延長になるかもしれませんが、ただ、気持ちを切り替えるというのは一瞬でできるし、お金もかかりません(笑)


一応、仕事は仕事、遊びは遊びというふうに、オンとオフをうまく使い分けるように心掛けているつもりなんですが、不思議と、バイクに乗って遊んでいる時や、キャンプをして焚火をしている時などにふと、新しいアイデアが浮かぶんですよ。オフを楽しむことによって、それがオンの部分にも繋がるような気がしますね。


地域でも活動をしているそうですが。


青年会議所に10年間入っていました。皆さん結構いい立場の方が多い中、当時まだ現場の仕事にも出ていたので、青年会議所内でも「チーム筋肉」として現場でいろいろ活動しましたね。そこで一緒に徹夜して泣いて笑って怒ってできた友人とは、今でも個人的に、また仕事でもお付き合いがあります。当時は市内の中学2年生を対象に、子どもたちが世の中を良くする為にできることを自ら考え自発的に活動できる場を作るという事業を担っていました。市議会棟で市長と一問一答をしてもらったりする中で、直接の仕事は全く増えませんでしたが、企画書や予算組立、行政への資料作り等を行った経験は二次的に仕事の幅を大きく広げられました。2022年からは仲間内で別にNPO法人をつくって継続しています。


座右の銘はありますか?


特にはありませんが、強いて挙げるなら「死ぬこと以外かすり傷」ですかね(笑)。バイクで転倒して脳挫傷で3日間意識不明になったこともあるし、腸重積になって救急搬送されたこともあるし、実際、何度か死線をさまよいました。それに、やはり阪神・淡路大震災で亡くなった方も大勢いる中で生き残ったからには、自分が何かを伝えていかなければならないと思っています。そのために生かされたんだという気はしていますね。最近、自殺する人も多いけれど、死ななければどうにかなるじゃないですか。久留米附設の同級生の中でも、ホリエモンは一度収監されましたが、それでもカムバックして活躍しています。生きてさえいればまた何かできることがあって、それは意外と大きなことかもしれない。やろうと思えば何だってできますからね。どんなに辛くても、生きてさえいれば何かプラスにはなると思います。